先端科学技術と法 -進歩・安全・権利- (学術会議叢書(7))

先端科学技術と法 -進歩・安全・権利- (学術会議叢書(7))

  • 作者: 戒能 通厚
  • 出版社/メーカー: 日本学術協力財団
  • 発売日: 2004/03/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

最近、動物実験関係のヒアリングやイベントで「法律ではなくガイドラインでやるべき」の根拠にされているこの本、ちょっと読んでみたんですね。ブログに書くのを忘れていましたけど。
具体的に根拠とされていたのは石井紫郎さんの部分だったのですが、でも、この先生も法律が全然要らないなんて、一言も言っていませんでした。
むしろ質疑応答で、
「決して制定法の意義を無視しているわけではありません。最低限の、あるいは大枠についての制定法をきちんとすることは必要です。」
と言っています。
経歴も経歴なので、もしかしたら実際には動物実験は別腹の立場なのかもしれませんが、少なくともこの本で表明されている範囲では、「ガイドラインだけでやれ」なんて話では全くなかったです。
もとになる法律がないと、この先生の言っている「ケース・ロー」だって根拠を失うというか、ケースになりえないように思うので、これは当然のことに思えます。(「ケース・ロー」については、日本では現状厳しそうなレベルの話が書いてあったような気もするので、上記の解釈でいいのかどうかわかりませんが…)
それに、この先生はむしろ、
「例えば、パーキンソン病の患者に胎児の肝細胞(原文ママ)から神経細胞を作って移植したところ、性格が変わってしまったということがありますが、我々は神様よりももっと深刻な問題を抱え込んでしまう危険が予感されます」
とか、
「これまで人間は、病で死ぬことも、子どもができないことも、全て神の摂理、あるいはわが身の定めとして受け入れてきたはずでしたが」
とか、少し科学から引いたように感じられる発言もしていました。
あとは、「動物実験で確かめられる危険には限度があることは、サリドマイドなどで明らかです」とも書いてあった。
なので、決して科学万歳、研究の自由万歳だけで「ソフト・ロー」がよいと言っているわけではないと感じたんですけどね……。解決が難しい問題、ややこしい問題が噴出するから柔軟に対応できるガイドラインなどの「ソフト・ロー」を活用するのがよい、ケースを積み重ねようと言っているのであって、決して、「それだけにして自由になんでもできるようにしろ」という話ではない気が。
研究結果が引き起こす悪影響に対して科学者が責任を取らされるのは問題だというようなことが書いてあったので、確かに科学者擁護をしている感じはありましたが、ちょっと都合よく関係者に利用されすぎなのではないでしょうか、この本。
これだけだとよくわからない感じもしましたが。