<ラストのネタバレがあるので、原作未読の方はクリック要注意!>
漫画を読んでばかりいるわけないのですが、つい先日、「風の谷のナウシカ」を再読してしまいました。
 


家の中で迷子になっていたのを掘り起こしたので、10年以上読んでいないのは確かです。
それだけだったらブログにわざわざ書くことではないのですが、ネットを見てみたら、ナウシカがラストで下した選択に対して否定的な論説が多いので動揺……。約20年前の連載終了時にはインターネットもなかったし、ほかの人がどう受け止めていたか、そういえばあまりよく知らなかったな……と思いました。
確かに連載終了は映画の盛り上がりも遠く去った後で、自分自身も大団円で終わったようには感じなかったのを覚えています。「墓所」という恐ろしく進んだテクノロジーをナウシカが破壊したことに対して、もしかしたら私も現代人の一人として違和感を覚えたのかもしれないです。
でも今は、テクノロジーによって改変され、誰かの理想のために利用されようとしている生きものたち(ナウシカの世界では人類も含まれる)の側に立てば、そのテクノロジーを残す選択はありえないストーリーだと感じます。
というか、あそこでテクノロジーを滅ぼしたからといって、なぜそれが人類絶滅の道を選んだことになるのか、なぜそう受け止める人がいるのか、そもそもそこが理解できないんですよね…。
確かに人類は、そのときへむけて大きな犠牲を払うだろうけれども、でも血へどを吐きながらも長い時間かけて環境に適応していくとナウシカははっきり言っています。そして、環境に合わせて変化をするのが生きものの力であり、それがこの星のあるべき姿だと言っているのだと思いました。
「私達は
血を吐きつつ
くり返し
くり返し
その朝を
こえて
飛ぶ鳥だ!!」
ナウシカは、清浄の地に鳥が飛ぶ姿を見てしまったのだから、答えを見たも同然です。生きものの未来は確信できた。その美しい未来に、過去の亡霊の理想でしかないものを持ち込むようなご都合主義の生命改変テクノロジーは不要だし、墓所の破壊は、即断即決で当然だと思います。
今読むと、こんなにカッコいいラストだったっけ?という感じでした。再読してみてよかったかも。
おそらく、釈然としないラストの印象を与えているのは、争うことをしないように改変された新人類の卵をナウシカが壊してしまったところなんでしょうけど、でも、ここで思わず連想したのは実験動物のことです。
遺伝子改変された実験動物が生まれてくるのは幸せなんでしょうか? 仮に痛みも苦しみも感じない動物を人間がつくったら? それは「いいこと」なのでしょうか? そういう操作がなされた胚が目の前にあったら? 
胚のうちに壊したほうがなんぼかマシか!とやっぱり私は思います。ナウシカがしたことは、そういうことなんじゃないかな……。
でもここは、人間、二手に分かれるのかもしれませんね。ナウシカの世界でも彼女がしたことは理解されないのかもしれないということは、最後に秘密をつくったことで暗示されているようにも思いました。(これは解釈間違ってるかもしれないですが)
そうして意見の相違が激しくなってくると、公平な裁きのできる巨神兵が必要になって、喧嘩両成敗されちゃうのかもしれないですけどね(笑)。
(巨神兵が日本製というのは、ネットで見て初めて知りました。あのコマ、気が付かなかった!)
ある作品をどう読むかって、時代や、その人の置かれた状況にも左右されるだろうし、10年後読んだらまた違った感想を持つかもしれないですが、ちょっとうだうだ書いてしまいました。
「科学の進歩」とやらには、いつも、あの世界の入り口に立っているような気がさせられるので。