死体は見世物か: 「人体の不思議展」をめぐって

死体は見世物か: 「人体の不思議展」をめぐって

  • 作者: 末永 恵子
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 2012/08/06
  • メディア: 単行本

人間の遺体の話ですが、『死体は見世物か  「人体の不思議展」をめぐって』という本を読みました。科学や教育の美名のもとに倫理問題が無視されてきたどころか、名だたる医学・科学界の方々がお墨付きをあたえてきた、この興業。日本人が最初にやって、それが世界に広がったというのも、なかなかショック。
特に、問題のある営利事業をメディアや数々の名の通った医学関連団体が一体となって支え、問題が表に出てこないという構造には腹が立って仕方がないのですが、徐々に反対運動を広げて、最後には閉幕に追い込んだところがすごいです。こんなに時間と手間がかかった、とも言えますが。
見に行った人は、いろいろ指摘されてきた問題点は知らずに見ていたのでしょうけど、動員数の多さはやはり驚きます…。自分の家族や友人の遺体だったらどう感じるか、日本人の遺体が海外で見世物になっていたらどう感じるか、何より、もし自分だったらどうなんだ? などなど、いろいろ考えてしまいそうなものですけど……。
ちなみに、旧「人体の不思議」展はドイツから遺体を借りていたけど、日本の主催者がプラスティネーションの開発者から利益をめぐって裁判を起こされ、遺体は返却。その後に始まった「人体の不思議展」は、中国から遺体を購入して開催されていました。
日本側は貸与と言っていたけど、嘘。輸入時の書類も「標本」とせずに「模型」と偽って輸入されていた。協力に南京大学の名前が挙げられていたけど、南京大学は勝手に名前を使われたと日本大使館に対し抗議。当然、生前の意思なんて確認されてる証拠なし。(日本人も商売となると結構ひどいことやってます。驚き。)
しかも、売り買いするものじゃないから値段を言うのははばかられるけど、なんか……安いの。
これは主催者、荒稼ぎでしょう……。
医学の世界で行われている動物を使った手技訓練なんかは、人間の遺体に代替していってほしいので、生前の意思とか、見世物にしないとか、最低限のことは守られてほしいと、ホント思います。それに何より、医学・医療関係者自らが献体することに意味があると思います。意思を表明できない存在(行き倒れた人や動物)を勝手に搾取・利用するのはよくないし、どう使われるのか、なぜ必要なのか、よくわかっている人でまかなうのが本当だと思います。
一点、気になったのは、展示された遺体はその後どうなったのかということ。商業的利用価値がなくなったものを、倉庫代出して保管するとも思えないし、劣化だってするだろうし……。中国で埋葬してほしいけど、まさかモノのように処分されていないか、心配です。実行委員会に名前を連ねていた偉い先生方に聞いてみればいいのかしら?
あと、思わず動物の剥製のこともいろいろ考えてしまったのだけど、動物の場合はまだ、生きている間の見世物とたたかわないといけない段階ですよね……。人間が見世物になってきた歴史にも触れられていたけど、そういう見世物がなくなってきた歴史は動物まで押し広げられていくことでしょう。
ということで一気に話はそれますが、サーカスの巡業が「人体の不思議」展と、な~んか似たような構造なんですよね。今どき動物を調教して不自然なショーをさせて見せるなんて、明らかに倫理的に問題があるのに、主催がメディアで、後援に地方公共団体やら教育委員会やら教育関係の団体やらがぞろぞろと名を連ね、問題視されないどころか宣伝モード。
「人体の不思議展」は開催地での反対運動に効果があったようで、後援が次々とおりていき、最後にはゼロだったそうです。日本だと動物は時間かかりそうだけど、地道にやらなければです。
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