NPO法人動物愛護社会化推進協会の公開シンポジウム「動物愛護管理法 次の改正に向けて 動物達が望む飼い主の責務について考える」を聞いてきました。
主催者は犬の飼い主検定をやっている団体なので、動物の扱いの向上については、「法律によってなのか、民度が高まることによってなのか」というところから話を始めていて、基本を押さえている感じは面白いと思いました。
本来は「民度で上げる!」くらいの気概が必要なわけですが、でも「日本は法律で国が関与したほうがいいよね」というところから始まって、どこまで国が立ち入るべきか考えないといけないというのが一つのテーマだったのではないかと思います。
ということで、不妊去勢手術の義務化すべきでないとか猫の登録すべきとかの地雷系?の話題も出ていたのですが、ここは動物実験ブログなので、その関係の話に進みますと……
まず最初に、動物愛護管理室の室長さんが改正動物愛護法の説明をしたのですが、その中で「今後の課題」として4つくらいがピックアップされていまして、ちゃ~~~んと実験動物の「法制度の検討」というのが挙げられていました。
わーい\(^o^)/
まあ要するに、このことが言いたくて、今日のブログを書いているわけです、はい。実験関係者向けのご報告は以上で終わりです。(って、このブログ誰向けなの一体w)
室長の話で少し気になったのは、「第二種動物取扱業の対象を動物の数などで切っているが、運用は開けてみないとわからない」とおっしゃっていたところでした。もちろん何事も、始まってみないとわからないことはありますが、第二種動物取扱業については、ある程度環境省側も想定を準備してかからないと、混乱するのではないかと若干心配ではあります。
業にあたるなんて自覚なくやってらっしゃるところが多いような気もしますのでね…。(ごにょごにょ)
あ、でも、施行前に説明会を一般向け・業者向けに開くと言っていました。
次は法律家の先生からの改正動物愛護法の説明です。さすが法律家らしく、「規制をふやすということは、国民への関与をふやすということだ、行き過ぎると国民をコントロールすることになる」等々おっしゃっていました。特に、普及啓発のところで「家庭」と入っているのは、家庭に国が踏み込んでくるということだ的なことも言っていました。あとは、怪我や病気をしたものを適切に保護しないと虐待罪にあたるというところで、ごく普通の人が逮捕される可能性を懸念しているようでした。(「可罰的違法性」というのがあって、軽微であれば処罰されないとも言っていましたが)
まあしかし、個人的にはここのところは、「だったら飼わなければいい、そのほうが動物のためだから」と、内心思ってしまうわけです……。(それこそ、法律が立ち入ってくる効果かと?!)
あと、このシンポジウム全体に懸念をもったのは、条文を「飼い主の責務」と読み替えてしまっていたことです。だから個人の姿勢に立ち入るのがどうとかいう話にすり替えられてしまうのかもしれないけど、法律の条文に書かれているのは「所有者の責務」です。(占有者もですが)
別に畜産動物や実験動物の所有者も「飼い主」と言って日本語としては間違っていないので、「同じじゃんか」と言われれば変わりはないのですが、でも何か「飼い主の責務」と読み替える深層心理には畜産動物や実験動物のことが入っていなくて、可愛がっている動物の可愛がり方だけが想定されているような気がしてなりません。だから、個人の心のあり方に踏み込んでくるという懸念に傾いてしまうのではないかと感じました。
営利目的で畜産動物や実験動物、展示動物を扱う「所有者」は、動物が利益を生み出すがゆえに、ともすればより過酷に搾取する方向へ行きがちなのだから、そこに対して法律で規制をかけたり責務を負わせて行き過ぎないようにすることが必要なのであって、別に、「伴侶動物に対してどんな可愛がり方をすべきか」なんていうオプションレベルのところに条文は踏み込んでいないと思います。
ただし、名称が「愛護」法だから、愛するところに踏み込んでいると誤解されるという見解には激しく同意です。というか、ずっとそのことを主張してきたのは、私たちです。法律の名前は変えるべきだし、この名称に変えたがった自民党政権の意図するところは、ペット法にすり替えたい(=実験動物には手を付けない)というところにあったと思います。
この日の「責務」の話は、犬の飼い主さん向けのイベントだからと言われるのかもしれないけど、でもやっぱり全体を見渡した話を提供しないと、自分たちの位置づけがどのあたりかが見えにくくなってしまうのではないかと思いました。
そういう意味で、次に話をされたこのNPOの事務局長が、動愛法の条文に出てくる「動物」をすべて「犬と猫」に読み替えていたことも、非常~~に気になりました。
法律の条文を日常的な日本語に置き換えてみるという試みをされていたのですが、それがとても上手で、文章が秀逸だっただけに、逆に犬と猫に限定して感銘を誘う手法に危険性を強く感じてしまいました。
動愛法では、目的も基本原則も、伴侶動物だけではなく、牛や豚、ラットやマウスのことも言っているということは、理解されているのかな~~~~?と心から心配になります。
今回の改正で、法の目的の中に「共生」という言葉が入り、動物が人間社会の中で生きることも法律の目的の中に入ったことは喜ぶべきなのかもしれませんが、しかし、このことによって、人間が利用するために殺している動物たちの存在が、より一層対象外と思われるようになってしまったような気がしてなりません。
最後には殺す畜産動物や実験動物も同じ社会の中に「生きている」と考えることのできる人がどれだけいるのでしょうか。
日本人はそろそろ、自分に接点のある動物しか見えないところを脱して、遠いところにいる動物のことも普遍的に考える習慣を身につけるべきだと、ますます強く感じました。
この日、犬を住民票に入れたいという発言が繰り返しあったのも、いろんな意味で理解しがたかったです。