先日、4700万年前の霊長類のほぼ完全な化石についての本を読みました。ルーシーと同じように名前がつけられていて、「イーダ」といいます。まだ子どもでした。体内の食べ物の痕跡まで残っていて、果実や葉だけを食べていたことがわかったそうです。教科書を書き換えるだろう大発見とのこと。

発掘されたドイツのメッセル・ピットについてよく知らなかったので、なんだかとてもロマンをかきたてられてしまいました。現代のメッセル・ピットは何やら見た目寂しげなところのようなんですが、太古の昔の生物群を今に伝える貴重な場所として、世界遺産にもなっているそうです。ゴミ埋め立て場計画がなくなって本当によかったです。

で…その本に書かれていたことではないので完全に話がそれるのですが。

人間はどうして大自然の光景などを見ると「美しい」と感じるように進化しているのかな~とか、思っていたんです。男→女、もしくは女→男で「美しい」と感じるのは繁殖戦略が関係しているんだろうけど、では風景の場合は?

やはり、自分が生きている環境を壊してしまったら自らの生存が危うくなっていくわけだから、むやみに生息環境を破壊しないよう、それそのものに何らかの価値を感じるように進化してきたのかな…?とか勝手に想像。自然って、景観だけに価値があるわけではないのに、意外と景観保護の方が理解されやすいところもあるような気がしたりして、そんな妄想を膨らませていました。

で、なぜこのことを急に思い出したかというと、昨日あるイベントで「本来の人間というのは菜食で、肉食というのは後から獲得した習慣なのではないか。菜食というのは新しい習慣に思われているけれども、もっと長いスパンで見れば、肉食の方が新しい習慣だったはず」というお話を披露された方がいて、その根拠に妙に納得してしまったからなんです。

よく言われているのは、ヒトの身体的な特徴や、菜食の方が健康であることなどだと思いますが、そのお話をされた方は(マイミクさんだったんですけどね)、もう一つ、生き物が殺されているところをみて人間が「かわいそう」と感じること、それそのものがもともとは肉食しない動物であることの証明ではないかとおっしゃったんです。

つまり、例えばライオンなんかは、獲物を食べるときに「かわいそう」なんて絶対に思っていないだろう、と。「おいしそう」としか感じないはずだ、と。でもなんで人間は「かわいそう」なんて感情を持つんだ?と。

なるほど!

私の前に座っていた、明らかにベジタリアンを嫌っていそうなひそひそ話の女性たちも、このくだりで黙ってしまいました。

そういえば「イーダ」は、人間の直接の祖先かどうかはわからないけれど、「おば」くらいの関係だった可能性は高いそうです。そして完全菜食でした。それくらい長いスパンで考えれば、きっと先祖は菜食だったんだろうなと思います。

ネコ科の動物なんかは、そもそも赤が見えないので、血の色がわからないという肉食向きの目をしていますが、ヒトの目の細胞は逆に、赤色をわずかに他の色より早く識別するそうですね。赤が警告色として使われるのはそのためなのだとか。俗説なのかもしれませんが、捕食される側の動物にとっては、血の色は「逃げろや逃げろ」サインのはずで、妙に納得してしまう話です。人間は、捕食される側の動物の末裔なんでしょうね。

実際には、「かわいそう」も慣れてしまうと感じなくなると思うのですが、むやみに食べつくさないためなのか、食べたことのない食べ物を警戒するためなのか、自らの健康のためなのか、何らかの理由で、捕食シーンを残酷に感じる機能は残り続けた……のかもしれないですね。基本は、「やばい、逃げろ!」が理由なのかもしれませんが。