昨日、くすり勉強会が主催した動物実験をテーマにした会がありました。実は昨日はWorld Vegan Dayで、動物たちの利用を廃止させるために、世界中でさまざまなイベントが開かれる日で、夜に自分が呼びかけた行事があったので途中で抜けさせてもらい、最後の討論が聞けませんでした。(くすり勉強会さんがこの日を知ってたわけじゃないと思うけど、偶然って面白いなぁ)
討論が聞けなかったのはかなり残念ですが、そのせいか逆に、JAVAさんが発表しているときに起きた信じられないことが頭から離れません。
正確な文言は忘れてしまったのですが、発表者の方が、「動物実験のことを知って、人間なんていなくなってしまえばいいと思ったこともある」(だったかな?「死んでしまいたい」だったかな?ちょっとはっきり覚えていません…)と言ったとき、後ろで「新ハッ!」って馬鹿にした感じで笑った人がいたんですよ。はぁ?と思って振り向いたら、サルの動物実験受託で有名な[NEW][晴れ][本]科学のエライ人でした。
動物実験に限りませんが、動物たちが人間によって痛めつけられている現状を知ったとき、そして、それが堅牢な社会システムに守られていると知ったとき、多くの人が「死にたい」「こんな世界なくなればいい」とウツ状態を経験していると思います。
私もそうだったので、JAVAの発表者の方とは、「あー全く同じ、わかるわかる!!」という気持ちがしました。
でも、それは、「ハッ」とバカにするようなことなんですね、実験者にとっては…。(愕然。そこまであからさまにしなくてもよいのでは?)
自分たちがしていることで、多くの人が傷ついているというのに…… (病気治そうとしてるのか、大量発生させようとしているのか、私にはどっちが本当の意図なのかよくわからないほどだ)
ちょうど私のmixiの日記でも、「ぴかりぃさんは死にたくなるとき、ないですか?」と聞かれていて、「昔は、人間がこんなひどいことをしてしか生きていけないなら死んでしまいたいとよく思った」と答えたばかりでした。
動物実験の写真を見ると、そういうことをつきつけられて暗い気持ちになるから、多くの人は見たくないことだし、避けて通りたいことなんだと思います。動物実験が続くのは、そういう人々の避けて通りたい心理に支えられている部分もあるはず。
最近は、私も死にたい気持ちにまではならないんだけど、それは、自分が生きていても死んでいても、この世界は変わらないかなという諦めみたいなものがあるからかもしれません。
でも、どうせ変わらないなら、なにか意思表示はしながら死んでいきたいよね、とは思う。
私は、死や病いも「人類の敵」とは思っていないです。
しばらくはブログ書くくらいしかできないかもしれないけど、みんなが自分の気持ちを語り始めたら日本も変わるかもと思うから続けようと思います。