19日まで、恵比寿の東京都写真美術館ホールで、『マザーテレサ- 母なることの由来』と『マザーテレサ- 母なるひとの言葉』をやっていると聞き、この連休の初日に見てきました。とくに『母なるひとの言葉』のほうは、マザーテレサの死から葬儀までを織り込んだ構成で、ずっと涙が止まりませんでした。

「愛は実践である」というのは、動物愛護の世界にも言えるよね……(もちろんテレサは「人間であることがすばらしい」と言っていて、そこはちょっとやはりキリスト教的な人間と動物の断絶を感じてしまったけれど…でも動物に無償の愛をささげられる人でも、人間には難しかったりすることが多々あるだろうから(多分私も)、やっぱりマザー・テレサのやったことは信じられないくらいすばらしい。)

なぜ急にマザー・テレサかというと、とある精神世界系の有名な映画で、「『反対』と叫ぶことは、逆にその反対している対象に人々の注意を向けてしまい、止まるどころか増大させてしまう」という話のくだりで、マザー・テレサが「反戦集会には呼ばないで下さい、平和集会に呼んでください」と言っていたということを知り、最近いたく感動していたためです。

自分がサイトを公開した当初から、「動物実験反対」とは掲げずに、「脱・動物実験」としてきた理由と重なるところがあったからなんですけどね……

(この件については、わかってくれそうだと思った場ですら全く理解を得られず、悲しかったです(T_T)。「暴力をなくしたかったら『暴力反対運動』をすればなくなるのか?(逆に暴力は増えるのでは?)」という例でわかってもらえると思ったけど、そうでもないのかも。やっぱり「反対」したいものが多いこの世の中、世間的には理解が得られにくいことなのかもしれません…。端的に言いたいことを表してくれるから、たしかに便利な表現だしね。

「『反対』というのは、対象が自分から遠いとき言いやすい」と説明してみたりもしたのですが、「問題を自分と切り離しているから簡単に『反対』と言えるんだ」とはっきり言えばよかったのかなぁ(>_<) と、やっぱりブログでも愚痴っちゃったりして。

『母なることの由来』を見て、私の言っていることが理解されなかった根本的な立場の違いは、もっと違うところにあったとわかりましたが……って、ここに書いても何のことやらですが。)

最近もう一つ見た映画にマイケル・ムーアの『SiCKO』があります。
http://sicko.gyao.jp/

アメリカの医療制度の問題点は他でもいろいろ語られているので詳しい内容ははしょりますが、命の沙汰が金次第になっている現実は相当深刻だと思いました。これは見るべき映画だと思います。。

病院が患者をタクシーに乗せ、貧困地域の救援施設の前に捨てさせるシーンなどは、人間として終わってる!と思いましたけど、病院の立場に立てば「慈善事業をしているわけではない」というのは厳然たる現実なわけですよね……。

やっぱり思ってしまうのは、医療を受けられる人と受けられない人の格差がここまで広がっている国が、動物実験大国だという現実はいったい何なのだろう……ということです。いったい誰のために動物実験はされているんでしょうね……。「恩恵」がもしあるとしても、万人のためのものではないですよね……。世界中から搾取して大国として成り立っている経済の上に、動物実験や高度先端医療もあると感じます。

おりしも、Gyaoで(娯楽映画ですけど)『アイランド』も見てしまったので、「あー、ほんとにこういう時代が来るかもな」と思ってしまうのでありました。(あんまり詳しく説明すると映画が面白くなくなるかもしれないので言いませんけどー)



後日注記:精神世界系の主張で、なぜ「○○反対」という言葉遣いではダメだとされるかというと、それでは何を希望しているのか、具体的な要望事項が示されていないからという理由があるのだと思います。「戦争反対」では、結局何を求めているのかが、実は具体的には明示されていない。でも、「即時停戦」と言えば、なにを求めているのかが述べられている。求めているもののほうをスローガンに掲げ、人々の意識をそちらに集中させること、できればもっと「いつどこでだれがどのように」まで具体的に主張したほうが実現しやすい、そういう風に言われているわけです・・・。